2012年12月26日水曜日

自分らしさとは、

 やはり音楽で街に賑わいを、活気を出させたいと言うのが私らしさ。
「音楽の街宣言」出来るような要件はそろって来ているのじゃないかと思っている。一つだけ付け加えるなら、「野外音楽堂」を佐野に創ろうよ!場所的には、県立公園だけどみかも山公園内が最適に思える。駐車場は結構あるし、佐野藤岡インター、イオン、アウトレットからも近い。

 市役所建設に関しては、本当にどうにかしたいのだが、なかなか道が険しいのと時期が悪い。言い出した時が遅すぎたのかもしれない。そしてこれは市長選での政策。
何故なら、「直接請求」なる署名運動ももうすぐ選挙とあってはやってはならないようだ。そして、「リコール」に関しては、選挙後1年間は出来ない・・・。あとは市長に誰か出るしかないじゃない!誰か出てくれないかなぁ~、勿論、市役所問題を引っ提げて出てくれれば最高なのであるが・・・。

2012年12月18日火曜日

初めて読まれる方へ♪

 出来る事ならこの順番に読んで欲しいな。
 4.FM Station SANO

 この他にも、やれることはジャンジャンやって行こうと考えている。
例えば、
・学校給食の放射能基準値を市独自で設定
これは早急にやらなければならない事。私たちの世代の責任で、将来のある子供たちを危険に晒すわけにはいかない。
音楽の街宣言
「子供の街宣言」しているのだから、もう一つ!音楽は、別項にまた書きますね。ちょっと長いから。
ダイアモンド✡ユカイ氏企画のバンドコンテスト
ただ書いているだけじゃないんだよ。何回かユカイ氏のマネージャーとミーティングしてるしね。市のブランド大使の任期も多分延長だろうから、市にも一肌二肌脱いでもらおう!ってね。
自治体での発電方法の研究
みんなが考え発想し、それを具現化出来たら理想的。発電する為には基本的に熱エネルギーが必要なだけで、そのアイデアを広く民間のみんなで考え合えば何か手立てがあるかもしれない。

 音楽は、世代を超えて一緒に楽しめる数少ないもののひとつ♪
私の店の開店当初、戦後佐野で一世風靡し頑張っていた「こうせい楽団」のおじいちゃんたちが来てくれていた時期がある。ギター78歳、鍵盤85歳、ドラム94歳と言うSuperおじいちゃんバンドだ。そのバンドさんでおばあちゃんたちが歌う訳だ。そこに偶然居合わせた高校生たち、
・・・私は「この子たちは、じいちゃんたちをバカにするか、笑うんじゃないかな?!」
って思って見ていたのだがいやいや、しっかり見て聞いて演奏終わったら拍手しているジャン!えっ、て思ったんだけど。
その時、高校生たちに聞いてみたんだ。
「あのおじいちゃんたち見てて、どう思ったの?」
「え~とぉ、あの年になってもバンドが出来るって事が嬉しくて!」
その時気付いたんだよね。「音楽は世代を超える」ってね。
だから、この街は私が踏ん張ってそして仲間達に盛り上げてもらって、
「音楽の街、佐野」
にしようじゃん!その中の一つとして「SANO ROCK CARNIVAL」も仲間たちの御陰で、二回開催出来た事は一つの進歩。
 
 他にもやってみたい事とかっていっぱいあるんだけど、せめて一年に1,2個は実現させていきたいので余り欲張らないで行こう。みんなの希望とかって有ると思うのよ。それをぜひ聞かせて欲しいな♪ コメント欄でもいいし、私にメールをください♪ じゃあまた☆健 
 

2012年12月13日木曜日

怖いもの知らず♪

 24歳で店をはじめた時には、何も知らずの怖いものなしだった。が、30年近く経った今、お蔭様でいろいろな事を経験し知った上での「怖いものなし」なのかもしれない。

 数年前に市役所に呼ばれ行ってみたら、市長の応接室。
私の前には、各課の課長部長さんらしきオジジがずら~り!いや~一瞬「なんじゃ!?」と思ったがこのオジジたち、考えてみれば私とそう歳の差は無い筈よね。そう思った途端落着き、市長の「若田部君、好きなこと言っちゃっていいよ。」の言葉を後ろ盾に言いたい放題。それでも実際出来たのは、「にぎわい創設事業」の一つだけ。

 各地で盛んになった「○○コン」
これの佐野バージョンを作ろうとキリンと話し合い、良いプランを練って出来そうと踏んだので市に話しても、話しだけはO.K.なのだがいざ金銭的な話になると、も~ および腰。役に立たないのでこれも私主導でやりますからね!


 町興し的なイベントとして
「ギネスに挑戦!」とかやったら面白いよね。参加者が、6,700人いたら全体像は2000人超の規模のイベントに仕上がる。これを毎年企画出来たら一つのお祭りになるんじゃないかな。少なくとも今の秀郷祭りよりはマシ!でもね、これは一般のアマチュア達だけでは出来上がらなさそうなんだな。なので私費を投じてその元を作ろうと考えている。


 市の職員は先ず、経済的効果を考えていない。予算を使えばそれでイイ!的な体質。
秀郷祭りにしても毎年1800万前後使っているから市の職員に聞いたのよ。
「どのくらいの経済効果を考えてるんですか?!」
「えっ・・・」
で終わったからね。これが現実。
イベント事はいかに人を集めるか、その一点と言っても過言ではない。大人数が集まればそこには自ずとお金の流れが出来るのよ。それを見越せないでイベントは出来なかろう。

市の職員は基本的に、怖くて何もできないのよ。そして余計な事もしたくないのよ。何もなければ穏便に済むしね。でもね、それじゃあ何も始まらない。あ、一つだけ付け加えれば、職員全員がそうかと言うとそうでもない。若者たちはとてもやる気があるが、係長から上は殆ど意気地なし。

 わたしは「波風立てるため」に自分の50代を使おうと考えている。端から見たら変わっているかもしれないが、それが佐野の為、我が街の為、そして自分の為だと確信しているから。そして次の世代に、いい状態でバトンを渡したいからね♪


 

2012年12月12日水曜日

FM Station SANO

 タイトルどおり、佐野にコミュニティーFM局を作る予定でいる。これは佐野市が出て来ようが来まいが、どちらにしても動かす予定でいた。

 面白い話がある。
数年前、佐野市でFM局を作ろうかどうか、かなり検討していた時期があったらしい。最終的には、母体となる会社の力の無さというか、採算性、営業、宣伝力の無さなんだと思うが、ポシャッタ。そして代替え案として、ネットラジオをやろうと画策したらしい。そこに引っかかったのが那須塩原の私の知り合いの店。小さな店なんだが、そこへ佐野市の職員とそれをやろうとしていた人たち数人で押しかけ、見学したそうだ。その時、そこの店主に言われた事は、
「佐野の皆さん、ネット中継を見学に来たみたいですけど、当店は佐野のBarkenさんから教えてもらったようなものなんですよ。あそこの健さんに教えてもらった方がよっぽど良いんじゃないんですか。」
って事だったらしい。その後、市からの問い合わせがあり、当店の注目度が一気に上がったのかもしれないと思っている。

 FM局に関しては、見習う目標、夢は79.5だろ。
日本全国で採算の取れているFM局は、まず数えるほど。その中で、大きく黒字を出している79.5は素晴らしい。これを真似して始めるしかないだろ。

 そして栃木県の地域的に、佐野はまだ認可されそうな位置にあるから、これは問題ないと思う。乱立したところでは、許可が出やしない。ただ誰かライセンス持ってればもっと早いんだけどね~。
 ハードを市に創ってもらい、当方で受け持つのはそのソフト面。管理責任者制度?みたいな形になるのかなぁ。

 採算ベースに乗せるための私案。
ゴールデンタイムを時間で切り売りして、最低の採算をとるって事。
売れ残った時間は自主製作の番組を作っていくしかないんだけどね。でも私の場合の強みは、年間20組以上のプロが私の店に来てくれる。そのプロたちを悉く番組に出しちゃったらどうよ!?生放送がダメなら、収録させてもらっちゃってあとから流せば問題ないじゃん。通常はギャラが発生するだろうけどそこは食事代位におまけしてもらえば可能でしょ♪
なかには
「健さん、ギャラ要らないから手伝うよ!」
って言ってくれているプロミュージシャンもいるんだよ!マジ。

っと言う事で、放送側はイイと思うんだけど聞く側だよね。リスナーがいなければ意味ないもんね。
先ずは、市の予算で市内全戸にラジオ配布。
しかも、当周波数に赤線しておいてやれば、じいちゃんばあちゃんでも可能じゃない。
今時IT時代だから、携帯で全国のラジオも聴けるしね。

そして山奥の方々にも聞こえるようにまたまた私案がある。
佐野市内の防災無線塔が30数基建っているらしい。聞こえにくいところは、その鉄塔にリピーター成る物を設置すれば問題解決!

さぁどうよ!
やってみようじゃん♪

2012年12月11日火曜日

市民放射能測定所

 仰々しいタイトルだよね。でも今一番必要なんじゃないかと思う。そして未来永劫に近い状態で私達の子々孫々が付き合って行かなければならない事実。私達の時代にとても厄介な状況を創ってしまったのだから、そのぐらいはしなければいけない。

 私にも子供がいて、学校給食を食べる機会が何度かあった。最初は、美味しい、まずい、温かい、冷たいだけの判断しかなかったものが、今や「放射能汚染はどうなっているの?!」と言うように一番の関心事は、放射能!2012年夏、我が街の給食センターが新しくなり、一日で80品目の食品の放射能汚染を調べられるようになったそうだ。が、問題は国が提示している基準値。絶対高すぎる!いくら調べられても基準値が高くては意味がない。
仙台当たりでは、県職員には1ベクレル。生徒には10ベクレルの基準値が使われていたらしいし、もしかしたら未だにそうなのかもしれない。

 幸いにもこの辺の放射能レベルは、周りの地域よりかなり低い。本当に幸いしたよね。でも、それで安心してちゃあ大変。一般のスーパーで売られている物には既に汚染されている物が出回っている事実、知ってる?!とても高い基準値はクリアしているんだろうけどね。もっと酷いやり方は、自分の店では「0ベクレル宣言」して、実際そう言う物を扱ってるらしいんだけど、ベクレル出たものは傘下のチェーンに流していると言う事実、どうにもならんがね。

 小さな子供、その親、それから若い世代には出来る限り汚染の少ない物を提供して行けたらと願って止まない。その為に、みんなが気軽に測定できるような施設を用意してやれたらと思っている。
が、現実はかなり高価な機材が多くてなかなか手が出せない。なので、少しずつでもいいからそろえて行けるように努力し、多くの企業や一般の方々からも協力を仰ぎたい。

 このような施設は、専門家が必要。細かい数値やら機材の取り扱いとかかなり難しいよね。なので、先ずは誰でもできる手軽な空中線量を何人か(出来るだけ多くの人)に定点観測してもらい、ネット上で日々公開できればいいんじゃないかと思う。こんな小さな町の中でも必ずホットスポットはある筈だから。

 そして最後に食物に関してなんだけど、これは結構難しい問題で、
測定して、「○○さんちの野菜は結構高い数値が出てるよ」
とかになると、例えその数値が基準値以下だったとしても多大な迷惑になってしまう恐れがある。

このブログの左側にリンクして有るのは、全てと言っていいほど放射能、原発に関するもの。一人一人が勉強し、将来に備えられれば幸い。

2012年12月10日月曜日

波風立てようよ!市役所建設地問題

 20年後、30年後のこの街を、日本を考えて施行して行かなければならない、何事も。
少子高齢化は著しくなり、ましてや人口減少。約3割減ると言われている。正確に何年後かはわからないが、日本の人口は8000万人程度になるとすれば、この街も漏れなく3割引き。って事は約85000人程度になるって事。しかも高齢者が大半を占める・・・。かく云う私もその高齢者の中の一人になっているわけだ(生きていれば)。
これで日本の産業が持ちこたえるとは、私は思えない。今から相当の事をやらなければ大変な事になるのは目に見えている。だって働き手が大幅に減っちゃうんでしょ!でもまぁこれは私案はあっても次期政権にお任せするしか私には手だてがない。

 さて、日本全国旧市街地はシャッター通りになって早何年経っているのだろう?!我が街も悲しいかな確実に閉っている店の方が多い。市の施行で「空き店舗対策」とか「賑わい創設事業」なるものがあるが、焼け石に水とは言わないが市の役人に任せていては風前の灯。

 先ずは、市役所建設地再検討!
元の駅前に戻る事と決まってしまったが、その経緯にはもうちょっと議論が必要な事は分かっている筈(賛成反対同数で最後は議長採決)。パブリックコメントなる物を見ても、他の代替え案に対する市の回答は、余りにもお粗末。一度議決されたものを掘り返す事は、議会法で禁止されているらしい。が、何かあるだろう、方法が!
良く考えてみてよ。今後最低50年は使うであろう市役所を旧市街の駅前と言うとても不便な所に造ろうとしているのよ。私は元々駅の側で生まれ育ったから、市役所はそこにあって当たり前のように思えるが、いざ市の全体像を見たら「違うだろ!そこじゃないだろ」っと大声で言いたい。
最低片側二車線の四車線道路に面していなければいけないでしょ、今時!

 この市には、高速のインターチェンジが二か所ある。
そのインターからインターまでは、全国の大型店が軒を並べている。黙っていても発展するところ。市役所は、どまんなか田沼付近とか吉水駅前とか、何しろこの幹線道路沿いに在るべき。
そして旧市街地は、これからの少子高齢化を考え、「小粋な街」に変えて行くべきだと私は思う。その為に重要なのは、「業種配列」が重要視される。その時私が、そういう立場に居れば相当の覚悟でやる事になると思う。

 最後に、市役所跡地はどうするか?
勿論街中の人たちの為に、小さくて粋な市役所の出張所を作れば問題ないでしょ!?ましてやIT時代、数人いれば一般事務は賄えるはず。
その他の余った敷地をどうするか?が問題。
これこそ市民全員で知恵を出し合って、マジで討議すべき事じゃないかな。
通常で考えられるのは、「毎週末イベント」多種多様なイベントを盛り込んで、今の市政には出来ない様な集客をしてやる事が必要じゃない?!
良くない例ならば、今年秋にあった「痛車祭り」、寂しいばかりだったもんね。これはもう市の力の無さを露呈した形だった。同じ日の足利の「痛車祭り」の半分以下・・・(涙)まちなか活性係、もっと頑張れよ~!っと言ってもダメなんだな。市民が自発的にやって成功し、あとから市に乗り込んでこさせるしか方法はないんだよね、今は。

2012年12月9日日曜日

さ~て、はじめよか♪

 はじめまして、皆さん♪
私はプロフィールにもあるとおり、しがない飲食店の主。ただの50過ぎのオヤジです。今の店をはじめて早10年、飲食業を始めてからはもう既に29年目。あっという間に30年近く経ってしまったようです。山あれば谷あり、少なからず甘いも酸いも味わって来てます。そんな自分が、何故このブログを書き始めたか!?

 数年前、実際は10年以上前から感じていたのです。
誰かがマジで町興しをしなければ、これだけ好条件の揃っている我が街は、国よりも早く沈没しちゃいそうってね。そして街が死んじゃったら、流石の私も厳しい・・・。
「誰かがやるだろう♪」
っと思っていたのですが、だぁ~れも出て来ず今に至ってしまったのです。
今からでも遅くはない。その時々に合った理想形は必ずある筈!っと思い、せめてブログからだけでも発信させて頂こうと考えたのです。

 そしてもう一つ。
私の年齢のせいもあるのです。
50に成りたくなくて成りたくなくて、も~他のブログでも吠えまくっていたのですが時間は残酷(涙) 確実に誰でも50才になるのです・・・。そして一番実感したのは、
「生きている時間に限りがある」って事。
そして今、本気で動かなかったら私は死ぬ時に、大きな後悔をする事になるだろうと容易く想像できたのです。生きて来て、本気に死にもの狂いに、そして今まで培ったすべてを使える時は今しかない!っと思い立ったのです。