2013年5月29日水曜日

自分はどうなのか?


「残念なことに多くの人々は、自分たちがのぞき込んでいる深淵の深さをまったく理解していない。われわれの子供たちにどんな世界を残そうとしているのか、それをまったくわかっていない。大部分の人々は、そんなことはまったく気にかけていないようだ。基本的に人々は、無意識的に(あるいはやや意識的に)真実に直面するのを嫌がっており、自らその耳目を塞(ふさ)いでしまっているのである。

なんだか私は、柵の外に飛び出した一頭の牛になったような気がしてならない。私は柵の中で草を食んでいる仲間たちに向かってこう叫んでいるのだ。 「おーい、みんな聞いてくれ。毎月トラックがやって来ては、そのつど仲間を何人も連れて行くだろ? あれはさ、みんなが思っているように、仲間たちを別の牧場に連れて行ってくれてるんじやないんだ。実は連れて行かれた仲間たちは、頭を撃ち抜かれて殺されているんだ。そして血を抜かれて切り刻まれて、パックに詰められているんだ。人間たちはそれを売り買いして食べてるんだよ!」と。
 
牧場の仲間たちの反応を想像していただきたい。「馬鹿だなお前は。よく考えてみろよ。人間たちがそんなことするはずないだろ。それに俺はトラック輸送会社の株を持ってて、それなりにいい配当をもらってるんだ。わけのわからないことを言って騒ぎを起こすのはやめてくれ!」。まあ、こんなところだ。

さて、これからその実体を明らかにしようとしている彼らのアジェンダだが、それは何千年もの時をかけて徐々に現実化されてきたものである。しかも、現在それは完成間近となっている。人類が自らの精神と責任を無防備に放棄し続けてきたため、事態をここまで許してしまったのだ。 人類は、単におのれの生存を第一と考えて行動する以上に、自らが正しいと思うことを行なうべきだ。「無知なる者は幸いなり」という諺があるが、それが当てはまるのもほんの少しのあいだのことだ
 
たとえば竜巻が近づいているのを知らないでいることは、見方によっては幸せなことかもしれない。それは「何か手を打たなくては」と心配する必要がないからだ。しかし、頭を砂の中に突っ込んで耳目を塞いでみたところで、竜巻が接近しているという事実は変わらない。そこで勇気を出して目を開き現実を直視するならば、災害を避ける方法も見つかるかもしれない。しかし、あくまでも現実を否認し無知のままでいるならば、それは常に最悪の結果を招くことになるだろう。それは現実から強烈な不意打ちを喰らうことになるからだ。無知なる者は幸いなり。ほんの少しのあいだだけ‥‥は。」


引用NPO法人 薬害研究センター 理事長 内海 聡


 私は、どれ程の「深淵」を見ているのだろうか?知っているのだろうか?!深淵と思える物に近づけば近づくほどキナ臭い。私は一人「柵」の外に抜け出しているとは思えない。実際のところ、その「柵」を飛び越えようかどうしようか悩んでいるのが現状だと思う。
「許された柵」の中で精一杯楽しく過ごす事の方が賢明、なのかもしれない。「賢明」とは、無難。「無難」とは、難が無い事。要は、当たり障りがないのだと思う。誰に対してだろ?
「次世代にどんな世の中を残すか?!残せるか?」
これが大切で、私を奮い立たせる原動力。
「柵の中の仲間達」の中にも、「それはおかしいよ!」と気付き始めている仲間が多々いるようだ。その仲間達と共に「柵」を飛び越えるべきか?それとも「柵」を壊してしまおうか?!

 次の世代の為に、住みやすい街づくり。
この小さな町「佐野」から始まり、徐々に徐々に輪を広げて行かなければ、「深淵」なる人たちとは到底対峙出来ない。それはまるで「世界征服」とは言わないが、「人が人であるべき姿」をこの小さな町からはじめ、大きな波風を立て、何世代にも渡って引き継いでいかなければならない事なのだと思う。

 根本から直さなければならない。
世の中の間違っている事、一つ一つを丁寧に紐解き根本からやり直さなければならない。ただ、余り悠長に構えていると「深淵」なる物たちの逆襲に会い、オダブツ。

私は「柵」は飛び越えられないかもしれないから、みんなで力を合わせその「柵」を壊しちゃいましょう!きっと気付くと「柵の外」なのかもしれませんけどね♪

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