2013年12月19日木曜日

はじめるよ♪

 マジな街づくり!
行政に任せておいても、殆どの上層部は自分達の事しか考えてないだろ!?「秀郷祭り」にしても、ただの予算の消費。そして行政側からの「お仕着せの祭り」。それじゃダメなんだよ・・・いつからこうなっちゃったのか分からないけどね。

 自分たちが自力で街を創らなきゃいかんのよ。
行政に任せておいては、祭りと一緒でお仕着せられたものになってしまう。
それじゃあ結果は、祭りと一緒さ、ダメなんだよそれじゃ!

 で、今回私が勝手に考え、実行に移そうと思っている。
先ず、生き残れるのは少なからず「飲食」系の物だという事は、ちょいと考えれば誰でもわかる。
その業種を中心に、この殿街通りからやって行く。

 昔の殿街通りを思い起こせば、
ほていや薬局、宇宙堂(実家)、つかさ菓子店、日本屋文具店、石山刃物屋、荒畑印刷、宝塚時計店、さいとう模型屋、森田ふとん店、川野靴屋、江田八百屋、斉藤自転車屋、アマの帽子店、津布久おもちゃ屋、大澤糸店、永楽屋、野村蕎麦屋、アメリカヤ靴店、清水筆店、篠崎家具店、永倉菓子店、オリーブ美容室
っとざっとあげてみたが、想像するだけでも楽しそうな街並みだよね。
この商店が各自元気いっぱいだったんだからそりゃ~賑やかってもんだ。
そして道の反対側も、負けじと頑張っていた。そう、モスバーガーも佐野1号店があったんだよ。

 先ずは、殿街通りの通常、「中弛み」となるど真ん中から着手しようか♪
郊外から街中に来たがっている店が現にある。その誘致に私がしゃしゃり出るわけだ。
何せ地元。子供のころから慣れ親しみ、路地の路地まで知っている。嘗ての大人達も今や老人。
その一人一人を悉く知っているんだから話は早い。

 利用できるものはすべて利用して、いかに安く=リスク少なく出店出来るかと言う事だと思う。
市の「空き店舗対策」の補助金も勿論利用させて頂き、効率よくやらなければ意味がない。
資金に任せての出店は、私の本意とすることろではない。

 来年の4月を目途に只今試行錯誤中!
何故なら、消費税アップの為の駆け込み需要で、住宅関係の業者がてんてこ舞いしているからせめてその4月を越した時点で出店に漕ぎ着けようと思っている。市への書類提出も、4月早々に出せるような手配を考えておこう。何故なら今の佐野市には、「空き店舗対策資金」は3軒分しかないからだ。庁舎は80億掛けても市民の街づくりの予算はスズメの涙、なのだ。


2013年12月17日火曜日

「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」

本音で語ってくれるウルグアイの大統領、ここに載せておかなければいけない。


ムヒカ大統領のリオ会議スピーチ: (訳:打村明)

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会場にお越しの政府や代表のみなさま、ありがとうございます。
ここに招待いただいたブラジルとディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。私の前に、ここに立って演説した快きプレゼンテーターのみなさまにも感謝いたします。国を代表する者同士、人類が必要であろう国同士の決議を議決しなければならない素直な志をここで表現しているのだと思います。
しかし、頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。午後からずっと話されていたことは持続可能な発展と世界の貧困をなくすことでした。私たちの本音は何なのでしょうか?現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか?

質問をさせてください:ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。

息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか。同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を世界の70億〜80億人の人ができるほどの原料がこの地球にあるのでしょうか?可能ですか?それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?
なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか?
マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。マーケット経済がマーケット社会を造り、このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。

 私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか?あるいはグローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?

このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄な議論はできるのでしょうか?どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?
このようなことを言うのはこのイベントの重要性を批判するためのものではありません。その逆です。我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません、政治的な危機問題なのです。
現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。
ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。消費が社会のモーターの世界では私たちは消費をひたすら早く多くしなくてはなりません。消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。
このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。ということは、10万時間持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売ってはいけない社会にいるのです!そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけないのです。人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。これはまぎれも無く政治問題ですし、この問題を別の解決の道に私たち首脳は世界を導かなければなりません。
石器時代に戻れとは言っていません。マーケットをまたコントロールしなければならないと言っているのです。私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。
昔の賢明な方々、エピクロスセネカアイマラ民族までこんなことを言っています

「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」

これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。
国の代表者としてリオ会議の決議や会合にそういう気持ちで参加しています。私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことを分かってほしいのです。

根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。そして、改めて見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだということ。

私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。私の国には300万人ほどの国民しかいません。でも、世界でもっとも美味しい1300万頭の牛が私の国にはあります。ヤギも800万から1000万頭ほどいます。私の国は食べ物の輸出国です。こんな小さい国なのに領土の90%が資源豊富なのです。
私の同志である労働者たちは、8時間労働を成立させるために戦いました。そして今では、6時間労働を獲得した人もいます。しかしながら、6時間労働になった人たちは別の仕事もしており、結局は以前よりも長時間働いています。なぜか?バイク、車、などのリポ払いやローンを支払わないといけないのです。毎月2倍働き、ローンを払って行ったら、いつの間にか私のような老人になっているのです。私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。
そして自分にこんな質問を投げかけます:これが人類の運命なのか?私の言っていることはとてもシンプルなものですよ:発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。愛情や人間関係、子どもを育てること、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと。これらをもたらすべきなのです。

幸福が私たちのもっとも大切なものだからです。環境のために戦うのであれば、人類の幸福こそが環境の一番大切な要素であるということを覚えておかなくてはなりません。

ありがとうございました。
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2013年12月9日月曜日

下野新聞より転載


「佐野市の新庁舎施工契約額は過大だとして、同市の住民2人が6日、岡部正英市長を相手に、同市長を含む選定関係者6人に約5億8千万円の損害賠償を請求するよう求める訴えを宇都宮地裁に起こした。
 訴状などによると、市は予定価格約70億円の施工契約入札で「総合評価落札方式」を採用。審査に価格評価100点、技術評価にも100点を配分した。建設大手2社の間で技術評価に70点差がついたため、入札額が5億8千万円高い67億円とした社が落札。市は、議会の承認を受け契約した。
 原告側はこれを「(特殊技術を要しない)一般的建物なのに価格評価を著しく軽視しており、地方自治法が規定する最小経費最大効果原則違反」と指摘。「日本の代表的建設会社2社の技術的評価で格差が3・5倍もつくのは、恣意的か誤った評価。違法な契約締結で市が損害を受けた」と主張している。
 これに対し岡部市長は「まだ(訴状の)内容を見ていないためコメントできない」としている。」

 さて、これからどうなるのか興味津々!
でもこの提訴された方々と一度お会いしなければ♪ 何しろ近所なのだから。

三宅洋平氏が「大デモ」開催「デモは、いてもたってもいられない人たちの行き場所」~SOCIETYTから抜粋~

 7月の参議院選挙に立候補し、17万票を獲得したミュージシャンの三宅洋平氏が提唱した「大デモ」が12月7日行われ、スタート時におよそ3000人の参加者(主催者発表)が東京都渋谷区の代々木公園から渋谷・原宿を巡った。デモには山本太郎参議院議員や山田正彦元農林水産大臣らも参加した。bigdemo
デモは、前日に成立した特定秘密保護法案成立を受けて反対の声を上げる人が多くを占めた。その他、政府が「原発ゼロ」政策の転換を改めて示したことへの反発、7日から閣僚会合が始まったTPP(環太平洋経済連携協定)に反対するアピールなど、参加者はそれぞれの主張を掲げながら、サウンドカー上の生バンド演奏やDJの音楽に合わせて行進していった。
デモといえば、全共闘時代に行われていたように、市民団体や労働組合が主催し、シュプレヒコールを上げながら行進するイメージを持ちがちだ。しかし、今回のデモは個人の意志で参加する人が多く、プラカートを掲げなから叫ぶ人もいれば、家族連れで散歩のように付いていく人もいるなど、それぞれの人が思い思いにデモに参加していたことが特徴である。なぜ人々はこうした「新しいデモ」に参加しているのか? そして、デモで政治を変えることができるのか? 現場の声から模索する。
bigdemo
特定秘密保護法が通ってしまったことは大変悔しいのですが、数の論理から言えば結果はわかっていました。秘密保護法は最悪の法案ですけれども、多くの人たちが、権力は僕たちの幸せとは真逆の方向に動いてしまっていることを意識できたし、現実を知ってもらえたと思うんです。皮肉なことですが、国民の力を集めて一つにすることに大きな役割を果たしてくれたと思います。
この最悪な状況の中でも、一つだけいいことを見つけるとするならば、今回の秘密保護法によって、多くの人がとんでもない不条理を押し付けられたという意識が芽生えたと思うんですよね。だから今回のことは次のステップに進むために重要なことで、秘密保護法が成立した瞬間からが始まり、そして今日からが始まりだと思っています。
僕が初めてデモに参加した時から考えていたことなのですが、デモというのは、関心のない外側の人に知ってもらうという側面もあると思うんですよ。その一方で、普段一人ひとり行動している人たちが勇気をもらえる場所でもあると思います。デモは外に向けてのアピールという意味合いもあるけれども、横のつながりをもっと太く、深くする役割を果たしていますから、必要なものだと思います。(参議院議員・山本太郎さん)
bigdemo
 今の東京で通りすがりに踵を返して参加できるスケジュールで動いている人はほとんどいないと思います。ただ、飛び込みOKと言われて、そのときに一瞬躊躇することもあると思います。初めて音楽のライブとかフェスティバルに行った人が、踊るのはちょっと恥ずかしいなと思っていたのが何かのきっかけで『ああ、踊っていいんだ』と感じて、実際に踊ってみたら『ああ、こんな自分がいたんだ』と気づく瞬間があると思うんです。そういう『誘(いざな)い』をしていきたい。周りがみんな踊っているのに自分だけもじもじして踊れない、ということがあると思うんです。そういう思いをしている人はいっぱいいる。
だから僕たちが言っている『飛び入り参加OK』というのも、今回のデモを見て、次はちょっと参加しようかな…と思ってくれるような、それくらいのタイムラグを含んだものなんです。日本の現状や日本人の心理を考えると、それくらいのスパンでゆっくり広げたほうがいい。
何のデモかわからない、という声もあるけど、それがテーマなんです。このデモが何なのかを考えてくれればいいわけで、デモで何を言っているんだろうというところから始まって、今日本で何を言わなければいけないのか、自分なら何をいうのかを考える。それがデモなんです。これは○○のためのデモなんです、という扇動をされないとついていけないような心理状態だと、秘密保護法やTPP、原発に反対しても止めることができない。そんな従順な国民でいることはやめて、自発的に自分が考えたことを訴える場がデモなんです。そういう意味では、『これは一体何なんだ』と思わせたらデモは成功です。
日本人の内気さをブレイクスルーする文化を形成していきたいし、たとえば外国人が気軽に楽しくパーティーに参加しているのを遠巻きに見ているのではなく、「楽しそうだな、みんな一般人なのに芸能人みたいだな、なんか俺たちも垢抜けたほうがいいんじゃないか」と思えるようにしていきたい。だから自分は率先して外国人から見ても驚かれるような生き様を通してきました。そのほうが楽しいからなんですけど。
そうは言っても、日本人はクワイエットな民族、物静かな民族なんだ、という人もいます。それで楽しければいいですけど、本当にそれで楽しいの? と思うんです。言いたいことも言わないで、恥ずかしがってばかりいて、先頭に立つこと、目立つことを恐れる。だから山本太郎くんのような存在が浮き上がってしまって、イメージも抹殺されていくんです。
デモで無数の人たちがもっと『キャラ立ち』してほしんですよ。今日の『何を言っているのかわからない』という周囲の声は、僕も広げていきます。次、デモに来るときはもっとプラカードなどをもって、自分の言いたいことをもっと訴えなよ、と問いかけます。『何を言っているのか分からない』という声が多かったという事実に対して、『いや、それは三宅さんがデモのテーマを言ってくれないからですよ』という人もいるかもしれません。そこで僕は『だから、それを考えるのはみなさんでしょ』とひっくり返していきます。
デモはみんなの空間として常に開かれていて、誰のものでもない場なんです。そして、デモは禅問答のようなものなんです。『これは何のデモなんですか』と聞かれたら、『何のデモだと思います?』と問い返します。僕自身は音楽を通して常にそうした『問い返し』をしています。だから僕の音楽はわかりにくくて売りにくいんですけど(笑)、伝わる人にはちゃんと伝わります。なぜ伝わるかというと、その人が、人から教わったのではなく、『この人の言いたいことが分かった、自分でつかめた』という自負が持てるからなんです。
そういう自立性が、今の日本には足りない。だから民主主義が機能しないんです。だからポピュリズムに走るし、コマーシャルに流されてしまう。しかし、みんなの知力、情報収集能力はかなり高いレベルに来ていると思います。個人的な意見を言ってはいけないという空気の中で、『あなた自身の思っていることを堂々と言ってもいいんだよ』と言いたいですね」

私念。
三宅洋平さんには、何か昔の武士の様な匂いを感じる。今回のデモでも「責任は全て自分が取る。逮捕覚悟で俺はやるよ!」こんな事半端じゃ言えない。
そして今回、参加できなかった事が自分自身とても残念。が、次回もまたその後も開催されると思うのでその時には必ず!