2016年11月19日土曜日

2016年11月14日月曜日

自分の魂との語り合い♪

 誰も1人になりたくない。
 皆、何らかの仲間内に属していたいのだ。それも1つではなく、沢山の仲間内に属していたい。だから1人の人間が宗教団体や政党、○○クラブなどに属している。属すべきもっと多くの小さなグループが沢山ある。人は1日24時間、常に助けてほしい、かまって欲しい物なのだ。何故なら、偽物のアイデンティティは、助けなしには持ち応えられないからだ。

 1人になった途端、私は奇妙な不安を感じ始める。
 これまでずっと長い間、私は自分自身をこういうものだと信じていたのに、1人になった時、自分の中にもう一人の自分を感じる。それは、傲慢で狡賢くプライドの高いもう一人の自分。その存在に気づきどちらが本来の自分なのかさえ見極めづらい。ではいったい、私は誰なのだろうか?

 長年の抑圧の結果、本物が全ての姿を現すには暫し時間がかかりそうだ。
この時点で私はもはや偽物ではないが、しかし本物でもない。私は中間におり、そして未だ自分が何であるかを計り知らない。

 私が何かを行なう時、それは何であれ私の偽りの人格から出て来る。私のすべての行為はこれまでずっと長い間、その偽りの人格から出てきており、それは古い習慣になっている。習慣はなかなか死なない。

 私は、今迄愛して来た人や尊敬して来た人々、まわりの仲間達によって期待されて出来た偽りの人格で、あまりにも長い年月、その人格として生きてきた。彼らは別に意図的に私に悪いことをしたわけではない。ただ彼らは私にとって意識的な人々ではなかった。無意識的な人々が与えてくれる善意の意図は、毒に変わってしまう事もあるのだ。

 私は1人でいる時いつも、深い不安を感じる。
 それは突然、偽物の人格が消え始めるからだ。しかし私が長年見失ってきた本物の自分がしっかりと出現するには、もう少し時間がかかる。つまりはこれまでと今との間の溝に橋をかけなければならないわけで、こうした事実にもっと考慮しなければならないのだ。今それを構築している最中だ。

 私は、瞑想を知った。
瞑想は、もう一人の偽物の私を掻き消してくれる。瞑想は、本物を与えることもない。何故なら本物は与えたり奪ったりすることのできないものであり、私が本来持っているものだからだ。ゆえに、私の中の偽物を取り去る必要があるだけなのだ。

 瞑想とは、沈黙し孤独になる勇気のことだ。そうした中でゆっくりと、私は自分自身が持つ新しい資質を感じ始める。新しい活気、新しい美しさ、新しい価値観、そして新しい知性。それは誰かからの借り物でもコピーでもなく、私の内側にある。それは私自身の存在に根を張っており、私が臆病者でなければ、それはやがて花を咲かせ、実を結ぶ事と成る。

 人は、本来の自分自身を知ることなく死んではいけない。本当の自分自身とともに生き、本来の自分自身として死を迎えた時に自分の魂と話し合うのだ。
「いい人生だったかい?!」
「おう、楽しかったな♪」
「幸せだったかい?!」
「勿論さ♪」

 こんな事を自分に考えさせてくれたのも、人との出逢いに大きな感謝なのだ。